テーマ:旅行

平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【16】。

 かつては、江戸城の大手門でもあった為に「大手三の御門」と呼ばれる、二の丸下乗門。高麗門と櫓門を組み合わせた枡形門で、その櫓門は梁行5間、梁行24間とされる巨大な門でした。この場合、一間が6尺5寸で約196.95センチとされるので、1.8メートルの一間よりも大きい事になります。  整然と布積みされた石は、表面まで「はつり仕上げ」で…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【15】。

 大手三の御門跡の枡形虎口内部に現存する、同心番所です。  最近、発売された『新版 名城を歩く <9> 江戸城』には、別名を「戸張番所」とも呼ぶ、と記載されています。  二月の更新ができなかったのは、この番所の建造された正確な年度や間取りなどの資料を探したものの、残念ながら発見できなかったからです。ご存じの方…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【14】。

 年末年始、怱忙のうちに時間が過ぎてしまい、思いの外に間隔が空いてしまいました。  二の丸と三の丸を隔てていた蛤濠の跡を通過し、大手三の門跡へ。ここは、両脇を石垣と塀に挟まれた高麗門が存在しました。  高麗門と櫓門を組み合わせた内枡形門で、ここを抜けて左折すると、往時は渡櫓門が存在しました。この渡櫓門を下乗門…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【13】。

 皇居東御苑、三の丸。江戸城の時代には、現在は宮内庁病院などが存在して一般人が立ち入り禁止の区域に勘定所が置かれ、また廃止されていた期間の方が長いものの、時として三の丸御殿が造営されていました。  現在の通路から、ちょうど北側の立ち入り禁止区画になります。通路の南側、皇宮警察の本部や旧枢密院の建物が存在する区画は、「コシカケ」と古…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【12】。

 大手門をくぐり、さっそく三の丸の尚蔵館へ……と記述する前に、今回も大いに寄り道して見ようと思います。  復元とはいえ、流石に良材が使われていますね。石垣も切り込みハギの上に、表面まで「はつり仕上げ」です。門をくぐってから、渡櫓門を振り返ります。 …
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【11】。

 大手門の枡形区画、周囲をサツキツツジ(皐月躑躅)の植え込みで固めて、毅然と展示されている青銅製の展示物が存在します。  正体は一目瞭然、鯱鉾です。  この鯱鉾、レプリカではなく本物で昭和20年(1945)4月13~14日の空襲で焼失した渡櫓門の屋根に乗っていた物です。  明暦三丁酉(めいれき・さん・ひ…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【9】。

 いよいよ、皇居の東御苑に入城します。  大手門は城の正門です。古くは追手門とも書かれました。  江戸城の場合は、本城(本丸・二の丸・三の丸)と西城(西の丸・山里曲輪・的場曲輪・紅葉山)の六大門が、三十六見附と呼ばれる江戸城の門の中でも重要な門として、御勅使を御迎えしたり、諸大名の通用門や、朝鮮通信使を迎える…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【8】。

 和田倉濠の手前、日比谷通りを北に進み、永代通りと接する大手町交差点で左折します。  千代田区大手町には、平將門を祀る首塚も現存する訳ですが、この時点では完全に失念していました。知識としては知っていましたが、地理的に脳内で千代田区大手町と認識したのは、最近になってブログを書く為に地図を再見した時です。迂闊でした。 …
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【7】。

 日比谷通りを横断して、和田倉濠の前まで移動しました。  先程までの東京都の風景が、いきなり江戸の昔に回帰したようです。  ――もっとも。  本来の江戸時代であれば、ここには高麗門と櫓門を組み合わせた和田倉御門が存在したのですが。  実際、関東大震災で倒壊するまでは、この場所には梁行4間、桁行20…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【6】。

 皇居の東御苑。かつての江戸城の三の丸へ到る大手門を目指して、和田倉噴水公園の手前で右折すべく歩いていると、途中で変わった建築が目につきました。  先程の、この時点では名前を識らなかった日本工業倶楽部会館の建物は、明白に古い建物を跨ぐ形でビルがそびえたっているのに対して、これはビルの外側に古い建物の外壁だけが貼り付…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【5】。

 丸の内の地下中央口から、地下道で繋がっている通路を少し進み、出口を見つけたので、外に出てみました。  明治か大正の時代を彷彿とさせる瀟洒なレンガ建築。背後には近代的なビル。  一目見て、おそらく空襲を免れた一級建築で、再開発に際して全面取り壊しではなく、外装を保って建て増ししたのだろう、と思いました。 …
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【4】。

 バスを降りて、さっそく八重洲地下街の公共地下道入り口へ。  八重洲の地名は、オランダ共和国(実際には総督を現在の王家であるオラニエ=ナッサウ家が世襲する王国みたいなものですが、当時は貴族・有力者の中から元首が選ばれる政治体制も、立派な共和制でした)のリーフデ号の乗組員、ヤン・ヨーステンに由来するとか。  そ…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【3】。

 田舎者らしく、修学旅行以来13年ぶりに訪れた東京の各所を、拙いデジカメで撮影して回りました。  東京駅の八重洲口まで移動するバスに乗り込みました。人が多ければ遠慮しましたが、幸いにも同乗者は少なく、他の方に迷惑をかける恐れが無いので、フラッシュを止めて車窓の風景を撮影。  1号羽田線は昔、来た時には夕刻に復…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【2】。

 地上は雨でも、上空は突き抜けるような蒼穹が広がり、日差しは暑いほどでした。高度が高く、激しかった飛行機の揺れやエンジンの振動も安定し、快適そのものです。  雲は分厚い絨毯のように広がっていますが、時に綻び、その下に広がる太平洋を覗う事が出来ました。  エンジンの下、かすかに見える船。実際には…
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平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【1】。

 今年の一月から、長らくブログを休止していましたが、ようやく再開できます。  今回は「電網適応アイドレス」に直接関係する話題ではないのですが、「たけきの藩国」のオフ会に初参加する為に上京した時の話題なので、あながち無縁でもないのでは、と。  朝。前日が遅番だったので余り寝ていない分、贅沢ですが朝風呂をつかってから早朝のうちに…
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 お城の流鏑馬。

 電網適応アイドレスのE-136から派生した新アイドレスのうち、たけきの藩国では斧使いと共に、馬術の名人も所得。その詳細が明らかになったのは、今月の二十二日でした。 http://blog.tendice.jp/200901/article_30.html L:馬術の名人 = {  t:名称 = 馬術の名人(職業)  t…
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 熊本城決戦について、考察風【後編】

 熊本城の弱点、と俗に呼ばれる西側について。  最も南西の端に位置する古城の南端に置かれた県庁には、第13連隊第2大隊第4中隊と巡査4番組の100名。山砲1門、臼砲2門。  古城と外郭の接合する西側部分には、は、第13連隊第1大隊第3中隊と、山砲1門。  そして、法華坂に側面攻撃を加えるべく、第…
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番外編、熊本城夜間開園【9】

 大小の天守を降りた後。  長局櫓の中で一息ついてから、下城する事にしました。  この時刻は雨が止んでいたので、買ったばかりの折り畳み傘は畳み、再び本丸御殿の下に通る闇通路(くらがりつうろ)へ。  この通路、西南戦争の時には倉庫も兼ねていたそうです。本丸御殿自体が、飾り金具の出土が少なかったので…
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番外編、熊本城夜間開園【8】

 城東の方角には、お昼であれば阿蘇の山々まで見渡せます。  夜間は、熊本ホテルキャッスルや少し東南に位置する熊本市役所、そして市電が中央に走る国道28号沿線を中心とした夜景を楽しむ事が出来ました。  日が暮れきる前、夜空が漆黒に変わる前の濃紺の時は、まだ長局櫓を視認できます。  同じアングルで、日が暮れるとこう…
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番外編、熊本城夜間開園【7】

 以前の夜間開園では、天守は登れなかったので今回の夜の熊本市街を眺望できる夜間開園は従来の旅行とは違う景色を堪能できました。  焼失前の大天守は、地階は小天守と同様に塩蔵だったそうですが、井戸はありませんでした。  一階は、「御鉄砲之御間」と呼ばれる十一間に十三間の部屋を中心に九室からなり、六尺三寸の畳百四十四畳が中…
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番外編、熊本城夜間開園【6】

 小天守は、外観三層内部五階です。最近は、二層四階地下一階、と表記される事が多いようです。    大天守の四層目と二層目、小天守の二層目の屋根は、数に入れずに庇としている為です。    江戸期は、徳川幕府への遠慮から、天守の階層を実際よりも少なく数える為に、屋根を庇と称する事は珍しくなかったでしょうけれど、江戸期の記録には大天守…
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番外編、熊本城夜間開園【5】

 長局櫓も、復元された建物です。築城当初は城内の奥向きに仕える局や侍女達の部屋が設けられていたのでは、と思われる名称ですが、後には単なる櫓の一つとして存在したそうです。  明治十年の西南戦争直前に焼失したので、発掘調査の折に江戸期から櫓の内部で保管されていた太刀・刀・脇差・槍・長刀・火縄銃の金具の類が、一定方向に揃えられた形状で出…
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番外編、熊本城夜間開園【4】

 本丸御殿は、本丸北側と南側の間に跨る形で構えられています。本来は東側からの通路だけだっとのを、後に西側にも通路が切り開かれたそうです。  闇り門(くらがりもん)をくぐると、闇り通路(くらがりつうろ)と呼ばれる地下を通る事になります。  その為、通路には百匁蝋燭を点した燈篭が吊るされていました。  これは復元されたもの…
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番外編、熊本城夜間開園【3】

 頬当御門をくぐると、熊本城の有料区画です。  本丸の西、宇土櫓を含む北側の区画が平左衛門丸。数寄屋丸二階御広間が再建されている南側が数寄屋丸と呼ばれます。    そして、頬当御門をくぐると、数寄屋丸櫓門跡の虎口で進路を右に転じ、直ぐに再び北へ転じます。この通路の当たり、明治の鎮台時代に砲の運搬を考慮して盛り土されて、…
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番外編、熊本城夜間開園【2】

 熊本城の長塀は、長さ242m。現存する城郭建造物では最長です。西南戦争で多大な被害を蒙り、その修復時に石落と狭間(さま)が無くなってしまいました。  石垣に設けられた排水路として、高知城などでも見る事の出来る石の樋。今回、中央に構えられたそれから、城内の雨水が瀧のように流れるのを見る事ができました。  坪井…
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番外編、熊本城夜間開園【1】

 熊本城の夜間開園に行って参りました。  夏休みの間、午後五時から八時にかけて、本丸御殿と天守の内部も見学できると言う事なので、週休二日を利用して行って来ました。  出発時、豪雨の歓迎。合羽の隙間から浸水し、この日はホテルにチェックインするまで下半身は半乾きの不快感に苛まれる事に。  これまで春や秋に熊本旅…
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 番外編:熊本城。

 今回は、アイドレスに関する物語と言うよりも、単なる旅行時の記述です。  熊本築城四百年を記念して、木造で復元された本丸御殿の一般公開を明日に控えた四月十九日。当日は本丸御殿の見学に一日を費やす予定(実際、そうなりました)なので、前日の十九日は城内の各所を見学して廻りました。大人一名五百円です。  熊本城の大小の天守…
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