平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【16】。

 かつては、江戸城の大手門でもあった為に「大手三の御門」と呼ばれる、二の丸下乗門。高麗門と櫓門を組み合わせた枡形門で、その櫓門は梁行5間、梁行24間とされる巨大な門でした。この場合、一間が6尺5寸で約196.95センチとされるので、1.8メートルの一間よりも大きい事になります。

 整然と布積みされた石は、表面まで「はつり仕上げ」で整形されていて、その巨大さと共に、幕府の中枢に通じる道であった事を物語っているようです。


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 門跡の中央から、左右の櫓門を乗せていた櫓台の石垣を撮影。


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 石材の過半は伊豆半島から切り出された安山岩なので、火山岩らしく黒い石です。


 門を抜けると、二の丸です。左端の石板のような物については、後に記述します。


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 本来は、本丸と二の丸の間も、三の丸と二の丸を蛤濠が隔てていたように、白鳥濠で区切られていましたが、後に三代将軍家光の頃に本丸が拡張されると、白鳥濠も大幅に埋め立てられました。


 ここから二の丸へ向かうのであれば、進路を逆しまに返して北進し、銅(あかがね)門跡を超えて二の丸御殿跡地に出ます。


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 現在、二の丸の見どころは、何といっても日本庭園かと。九代将軍家重の時代とされる絵図面を元に、昭和43年(1968年)の東御苑公開に際しての整備で復旧されました。

 元々の由来は、小堀遠州の作庭ですが……京都の仙洞御所がそうであるように、後世の改修により、その原型になる独創的な部分は、かなり改変されているとの説も。

 尚、東御苑公開の際に、吹上御苑から明治時代に再建された諏訪の茶屋も移築されました。


 余談が、いささか長引きました。本当は、門を出て直ぐに目に入る、百人番所について記述するつもりだったのですが。

 続きは、後日に。



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