平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【14】。

 年末年始、怱忙のうちに時間が過ぎてしまい、思いの外に間隔が空いてしまいました。

 二の丸と三の丸を隔てていた蛤濠の跡を通過し、大手三の門跡へ。ここは、両脇を石垣と塀に挟まれた高麗門が存在しました。


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 高麗門と櫓門を組み合わせた内枡形門で、ここを抜けて左折すると、往時は渡櫓門が存在しました。この渡櫓門を下乗門とも呼びます。

 大手門や桔梗門(内桜田門)、桜田門(外桜田門)は右折しますが、これは枡形が郭の外側に面している外枡形門の為です。

 基本的に、枡形門は左折させるように構築されます。長柄の鑓や弓を手にする時には、左手が前に出る左半身となるので、古い時代の軍勢は馬手(右手)の側から攻撃されると不利でした。
 集団としては方向転換が困難であり、個人の場合も馬上であれ徒歩であれ、左側の敵を攻撃するのは容易でも、右側の敵は受けにくく、また身体を守る構えも、左半身なので右側が空いており、不利でした。

 左手を肩の高さで前に突き出し、右手は腰の位置で、鑓や鉄炮を構えている姿勢を想像してください。右側は空いてしまいます。

 無論、比較的と言う事なので、絶対ではありませんが。

 大手三の門跡をくぐってから振り返ると、三の丸の緑と大手町のビルディングが目に入ります。この真っ直ぐな一本道、往年は水濠と木製の内追手橋が架けられていました。


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 見事に成型された切り込みハギの石垣が、その大きさと精巧さを今に湛えています。また、雁木が有事には塀が一斉に持ち場につける構造を如実に語っています。


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 かつては、この石垣の上に白漆喰の塀が存在していました。遥かに高く、石垣と土塀の城壁が聳えていた訳です。


 続きは、枡形内の同心番所について記述しようと思います。

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