平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【12】。

 大手門をくぐり、さっそく三の丸の尚蔵館へ……と記述する前に、今回も大いに寄り道して見ようと思います。


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 復元とはいえ、流石に良材が使われていますね。石垣も切り込みハギの上に、表面まで「はつり仕上げ」です。門をくぐってから、渡櫓門を振り返ります。


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 一般の大名家が構える大手門とは、規模が違います。


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 石垣に近づいてみると、丁寧に表面が仕上げられている事が実感できます。


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 鑿で石の凹凸をはつり取っているので「はつり仕上げ」と呼ばれる、当時の大変に手間がかかる技術です。無論、江戸城の全域ではなく、城門や天守台なと人目につく城の「顔」のみに用いられているのですが。


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 城内から、渡櫓門を仰ぎ見ます。櫓を堀越しに眺める時と異なり、石落としや唐破風と言った装飾は目にできませんが、それでも江戸城の櫓楼に共通している意匠を間近に観察できます。


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 白亜の漆喰塗込めの壁には、二本の長押(なげし)形が塗り出されています。上が内法長押、下が腰長押と呼ばれます。


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 棟瓦の瓦紋が、三つ葉葵から皇室の略紋たる十六葉の菊花御紋章に変わっているのは、戦後に復元された時の修正ですが、破風妻が銅板包みで、軒先の鼻隠し銅板包みで加工されています。

 破風を漆喰塗込めにしても、風雨に曝されて黒ずんでしまうので、中井家配下の棟梁だった平政隆は『愚子見記』という書物に「土塗ハ思ヒノ外ニ見消ス物也」と、記されています。

 おそらく、見栄えが良くないので銅の黒板包みとする事で、破風に力強さを、軒先に鼻隠しを付けて黒い銅板で包む事で、軒の線に引き締めの効果を意図したのではないでしょうか?


 では、そろそろ足を前に進めましょう。

 江戸時代の城門にも、枡形の中と外に大小の番所が設けられていました。現在も、城門の手前と門を入ってすぐに交番が置かれ、皇宮警察が警備を担当しています。


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 ここで入園表をいただいて、東御苑に入城します。これは下城する時には返却します。一般公開されているとは雖も、皇居に閉園時刻を過ぎても誰かが居残っていたりしたら大変ですから。

 続きは、後日に。




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