平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【11】。

 大手門の枡形区画、周囲をサツキツツジ(皐月躑躅)の植え込みで固めて、毅然と展示されている青銅製の展示物が存在します。


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 正体は一目瞭然、鯱鉾です。

 この鯱鉾、レプリカではなく本物で昭和20年(1945)4月13~14日の空襲で焼失した渡櫓門の屋根に乗っていた物です。

 明暦三丁酉(めいれき・さん・ひのととり)と頭部に刻まれているので、明暦の大火後に再建されたと説明板に記載されていました。明暦の大火は明暦三年(1657)一月なので、その年のうちに鯱鉾だけ製作された模様。
 
 ……その割には焼損の痕が無いのは、渡櫓門が全焼せずに延焼(米軍は当時、一部の軍規範を除いて宮城は爆撃目標とはしていないので)したので、焼け崩れながらも破損や炎を免れたのでしょうか?

 本来、鯱鉾は雌雄一対ですが、展示されているのは雌雄は分かりませんが片方だけですし。


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 関東大震災でも宮城は大被害を櫓や門に蒙りましたが、私が観た事のある写真は『日本城郭古写真集成』に乗っている和田倉門の写真だけですし。

 名古屋城なら、空襲で大天守が炎上する姿や、濃尾大地震で被害を蒙った写真が大量に残されているのですが。


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 振り返ると、永代通りから陸続と観光客の姿が。私もその一人でしたが、祭日とは言え、イベントをやっている訳でもないのに素晴らしい数の人波でした。


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 東御苑の外と内で、がらりと世界が変わるような錯覚を味わえます。実際には地面が舗装されていたり、確実に平成の時代なのですが。

 江戸城の正門だけあって、石垣の石も大きく、切り込みハギの石垣も石そのものを切り石にするだけではなく、表面も「はつり仕上げ」に加工されています。


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 この格子窓を見て、間隔の開いている鉄炮狭間からの射撃よりも、塀越しに弓組が放つ越矢や渡櫓門の格子から放たれる横矢の方が怖いな、と思いました。

 火縄銃の場合は、どうしても互いの間隔を空けておかないと発炮した時の火皿の火薬や筒先から飛び出す焔と焔硝の飛散が危険なので、弓と比べると密集できませんから。



 ――余談ついでに、江戸時代の門の警備について。

 江戸城の門を「三十六見附」と称するのは、実数よりも語呂合わせとの事ですが、数はともかく「見附」の文言は見つけ、つまり見張りを意味します。

 城門警衛は当然ながら軍役で御見附御番と呼ばれ、本丸や二の丸など中枢の門は旗本・御家人の番方に属する御先手組や御鉄炮百人組が担当しました。

 それ以外の本城・西城諸門と内曲輪諸門は譜代・外様の大名が主として担当し、外曲輪諸門は主として寄合衆(無役の大身旗本)が担当しました。

 三の丸の大手門は、譜代大名2名が担当しました。

 大手門・西の丸大手門・内桜田門(桔梗門)の御番方は番頭役と呼ばれ、任期は三年で毎月を交替で勤めました。他の御門の御見附御番方は伴頭と呼ばれました。

 万治3年(1660)に定められた軍役で、御譜代詰衆10万石以上の者が二名で担当する事と定められ、馬上9騎・徒侍(かちざむらい)3名・弓10張・鉄炮20挺・鑓20筋・挑灯(提灯)30丁・足軽30名・中間20名が警備に当たりました。

 節句と御礼日には人数が倍に増やされました。



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 渡櫓門をくぐると、三の丸です。

 続きは、後日に。



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