平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【9】。

 いよいよ、皇居の東御苑に入城します。


画像



 大手門は城の正門です。古くは追手門とも書かれました。

 江戸城の場合は、本城(本丸・二の丸・三の丸)と西城(西の丸・山里曲輪・的場曲輪・紅葉山)の六大門が、三十六見附と呼ばれる江戸城の門の中でも重要な門として、御勅使を御迎えしたり、諸大名の通用門や、朝鮮通信使を迎える為に使用されました。

 享保6年(1721)の法定では、大手御門・内桜田門(桔梗門)・西御丸大手御門は、卯の刻(午前六時ごろ)から酉の刻(午後六時ごろ)までが開門時間で、通行に際しては「あやしきもの出入せば改むべし」との事。
 夜間は「近侍の輩夜中なりともその告ぐるに任せ番所の簿書に引合せて滞りなく通ずべし」と定められているので、番所で記帳すると通行できたそうです。

 今では、月曜日と金曜日を除く平日の朝九時から夕方まで(夏場は午後五時、冬場は午後四時。平成21年現在)、広く一般に無料で公開されています。

 私が訪れたのは月曜日でしたが、みどりの日で祝日だったので入城できました。


 大手門に向かって左手は、桔梗濠です。


画像



 向かって右手は、大手濠です。


画像



 大手門は、高麗門と渡櫓門を組み合わせた枡形門と呼ばれる形式です。
 普通は、前者が「一の門」で、後者が「二の門」です。
 実際、二の丸の門が「大手三の門」と呼ばれるので、江戸城の場合もそうではないか、と思っていたのですが、歴史群像シリーズの『図説 江戸城 その歴史としくみ』では、高麗門の方を「二の門」、櫓門を「一の門」と記述しています。
 新人物往来社の『将軍の城 江戸城のすべて』等、図書館の資料を色々と調べてみましたが、言及しているのがないので、それで正しいのか誤植かは分かりませんでした。

 ――それは、さておき。

 この高麗門は、江戸時代から現存するものです。


画像



 調べた範囲では、明暦の大火(明暦3年:1657)で焼失後に、万治2年(1657)に復元されたもののようです。

 対して、櫓門は昭和20年(1945)4月13~14日の米軍が行った空襲により焼失してしまい、昭和43年(1968)に再建されたものです。


画像



 故に、屋根瓦の瓦紋は三つ葉葵ではなく、菊の御紋章です。


画像



 大手門をくぐり、枡形の区画に入ります。もう、城内です。


画像画像


 続きは、後に。



江戸の都市計画 (文春新書 (038))
文芸春秋
童門 冬二

ユーザレビュー:
今こそ読むべき!綴ら ...

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック