平成21年5月4日、みどりの日。東京旅行【6】。

 皇居の東御苑。かつての江戸城の三の丸へ到る大手門を目指して、和田倉噴水公園の手前で右折すべく歩いていると、途中で変わった建築が目につきました。


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 先程の、この時点では名前を識らなかった日本工業倶楽部会館の建物は、明白に古い建物を跨ぐ形でビルがそびえたっているのに対して、これはビルの外側に古い建物の外壁だけが貼り付けられているような形状。

 これが、往時の建物の外壁だけ保存しているものなのか?

 新築の建物にかつて存在した建物の面影として外壁のみ復興しているものなのか?

 観た目で判断は出来ませんでした。

 日比谷通りを渡って、和田倉橋の近く、お濠の際から撮影。


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 ネットで調べると、この建物は東京銀行集会所として、先の日本工業倶楽部会館と同じ松井貴太郎氏が設計した建物で、大正5年(1916)に完成した煉瓦建築でした。

 奇しくも、昭和の御代を挟んで平成5年(1993)。
 
 大正時代に建てられ、関東大震災と東京大空襲を生き抜いた名建築も西側に傾き始め、遂に建て替えられる事になりました。

 ――その時。

 同じ松井貴太郎氏が設計した日本工業倶楽部会館は、建物の不動沈下による傾きや、免震構造を設置する必要などから、建物の三分の二を解体してから再度、組み直されました。

 これに対して、東京銀行協会ビルとして再建された此方は、建物の外壁だけを切り取って保存するファサード保存という手法が採用されます。

 国宝や重要文化財に指定されている建物や石垣は、どこでも幾度か解体修理が施されているのは、小学生の時に日本の城郭について調べている時に知りました。今では、必要性も意義も充分に理解していますが、それを最初に知った時には、長年に及ぶ伝統や歴史が途絶しているのでは、と衝撃を受けた記憶があります。

 故に、日本工業倶楽部会館に対しては、解体修理が施されていても、その過程も含めて建物の歴史の一部であり、それを介して現在と過去の造り手が交流し、技術が継承されているのだ、と思えるのですが……。


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 東京銀行協会ビルに対しては、旧東京銀行集会所の面皮だけを剥ぎ取って、戦利品の如く掲げているような……いえ、それでも。面影なりとも残されている事を以て、良しとすべきでしょう。
 跡形もなく撤去されている建物を思えば、お芝居の描き割りみたいなものでも、何もないよりは遥かに……。

 いささか、私見が過ぎました。

 続きは、後に。

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